恐怖のトンカツ屋
ある晴れた日、よく行くトンカツ屋さんに行った。
そこは店員の愛想は悪いが、味は悪くなく、何よりリーズナブルだった。
よく注文するのはねぎおろしチキンカツ定食だ。
その日はお昼を少しすぎて14時に来店した。
いつもと様子が違っていた。
なんと、注文が券売機になっていた。
今まではメニューを見て、直接注文していたのだが、それが出来なくなっていた。
そうして、席につくのだが、様子がおかしい。
すぐに店員が券を取りに来ない。
例えば某有名牛丼チェーンならテキパキと動いて取りにきていたはずだ。
店員の様子をうかがう。
接客をしている店員は、若い男女だろうか。
仕事を始めたばかりなのか、動きがぎこちない。
お客さんが入っているのに、こちらを振り向かない。
一人は男性で、十代後半ぐらいの男の子だろうか。パッと見て覇気がない。
もう一人は女性で、こちらも若いが、おそらくインド系の外国人の女の子だ。
こちらも覇気がない。無表情だ。
どちらも要領が悪いのか、厨房のおばさんに怒られている。
ずいぶん後になってから、券を取りにきたのだが、無言で水を置き、券を奪い取っていった。
他にも何人か来店しているのだが、全員に同じような対応をしている。
さらに机の上をみると、お水を入れるポットが置いてあるのだが、それは軒並み空に近い状態だ。あと、一割あるかないかだ。
そして、料理も出てきたのだが、どうも今まで食べていた量より少なくなっている気がする。
おばさんは、また二人に怒鳴っている。
あと1時間で、皿を洗えと言っている。
気まずい。最高に気まずい。
そう思って、今までで一番の速度でチキンカツを飲み込んで店をそそくさと後にした。
これが海外ならなんとも思わないのだが、ここはサービスが過剰とも言われている日本だ。その日本で、しかもこんな地方都市でこんな状況になっているのか。
今まで意識していなかったが、これから、どんどん日本はこうなっていくのだ。
人手はなくなり、子供はいなくなり、サービスの質が低下する。
昨今では、コンビニの24時間経営の問題が浮き彫りになっている。
これからの日本はどうなっていくのだろう。
銀河英雄伝説とインフラ
私が好きな小説・アニメに「銀河英雄伝説」というものがある。
簡単に言うと、宇宙の広大な星々で、専制政治である帝国と、民主主義である同盟が争い、それぞれの国の英雄たちがさまざまな思惑を胸に戦う物語だ。
この物語は、たとえどんなに有能な人物であっても上官が無能であれば死んでしまう事もあるし、そこまで能力がなくても幸せに人生を送っている人もいる。
銀河英雄伝説は、フィクションでありながら、とても多くの事を知るチャンスを得ることが出来る作品だ。
こんな場面がある。とある国では、戦争の長期化により、成人のそれも男性の死亡原因第1位が「戦死」という状態に陥っている。
徴兵される前の子供と老人が大半を占める社会構造となり、首都ですらインフラを維持できなくなっている。
経験の浅い若者が社会をまわすという状況だ。
インフラを維持できないというのは、例えば、今の日本で言えば、市役所は週二日しか空いていない、警察も交通事故があってもすぐに来てくれない、車が故障しても業者がすぐに直してくれないなど、ゴミ収集車がゴミを回収しに来ない、水道管が破裂しても誰も直せる人がいないなど、生活のあらゆる面でまともに機能しなくなっていく。
社会の活力は低下して、国力自体が疲弊している。設備は老朽化していく。
トンカツ屋さんは日本の社会の縮図なのかもしれない。
券売機にしてメニューをききにいかせない。
人手が足りないから若い新人二人に接客をまかせる。
しかし新人だからまともな接客が出来ない。
さらに片方は外国人だ。それだけ日本人のアルバイトを確保できなくなっている。
超高齢化社会に突入する日本で、この先、20年後・30年後、経験の浅い若者だらけになった時、果たしてインフラはまともに機能するのだろうか。
人生においてほとんど一発逆転はないように、トンカツ屋さんの改善も、日本のインフラも一度疲弊してしまったら、すぐには改善することはできない。
対岸の火事などと、未来のことなどとのんびりはしていられない。
明日は自分の会社や、生活がトンカツ屋のようにならないなんて保障はどこにもないのだ。
これから少しでも、自分の人生をよくするためには、のんびりと同じ日々を過ごすことは自分にはもう出来ない。
人間は同じ日々がずっと続くと錯覚しがちだが、未来永劫続く国も生活もありはしない。
色々な価値観を持つ人々と出会い、自分とその周りの人達を幸せできる人生とは何か常に考え行動し続けなくてはいけない。
銀河英雄伝説 Blu-ray BOX スタンダードエディション 1