十年前の自分に出会いたい。
十年前の自分はくそみたいな人間だった。
金持ちでもない、超イケメンでもない、面白いトークが出来るわけでもない、誰にも負けないスキルがあるわけでもない。
たまにゲームして、友達と麻雀して、カラオケいって、日々を過ごしているだけのただの雑魚日本人男性だ。
そしてなんとなく大学を卒業して、なんとなく就職した。
初めて就職した企業は、ブラックだった。
サービス残業は当たり前、先輩が帰ってもいいというまでは帰れない、自分に非がなくても謝らさせられる、サービス業なので休みは自分で決められない。
仕事が終わって、家に帰ってもやることはご飯を食べて、風呂に入って寝ることしか出来なかった。他に何かをする時間がないのだ。
だんだんと食が細くなり、会社が出す200円のくそまずい弁当は喉が通らなくなった。一日の食事がマウンテンデューだけの時があった。あの時が、人生で一番ガリガリだったと思う。
冬のある日、真っ暗なうちに家を出て、ずっと太陽の光を浴びないで、夜帰る時も真っ暗な中を帰る時があった。本気で自分は今、生きているんだろうか?と思う時があった。
そして、いつも偉そうにしている重役に、説教された事があったのだが、それにも心底うんざりだった。自分に一切非がないにも関わらず、外聞を気にしてこの重役は怒っているのだ。
しかもこいつこの会社でトップに近いのに、軽四で出社して上にへつらい下に厳しいときてる。出世しても給料なんてたかが知れているのか?そう自分は愚痴っていた。
会社の人間も、いい人は何人かはいるのだが、どこか何か違和感を自分は覚えていた。本当にこれでいいのか?
肉体労働をする場面もあり、スーツなのに汗ダラダラになる場面もあった。
明らかに、一人では無理な作業を先輩に押し付けられていたのだ。
今は若く、体力仕事もバリバリできるのだが、十年後にもこれと同じことをしているのかな。そんなことを思っていたら、なんだか空しくなった。
そして、決定的だったのが、ここには書けないのだが、同期がとんでもない事故を起こして、一生、会社に首輪をはめられ奴隷になる様を見た。
その時気づいた。
これはダメだ。このままいたら、自分も奴隷になってしまう。そして、役職がついたら、余計に逃げられなくなる。
そう思って、上司なんかに相談なんてしないで(どうせ引き留められるからだ)すっ飛ばして、社長に直接、退職届を提出した。
退職届を出して出社する最後の日、普段はいかない会社の屋上に出た。
結局、有給は消化できなかった。それでもいい。
見上げると、空はどこまでも青く、雲が流れていた。
ああ、今日で俺は仕事をやめるんだ。
そう思うと、心が非常に晴れ晴れとした。
普通に出社して、普通に帰れるところで働きたい。
そして自分の時間を作って、勉強したい。そう思った。
次につとめたところは、今でも働いている。
いわゆるホワイト企業というやつだ。
最初に入った時、あまりに最初の企業との違いに驚いた。
定時に帰ろうと思えれば帰れるのだ。
この会社、本当に大丈夫か?とさえ思った。
そうではない、ブラック企業が異常だったのだ。
給料は安いが、のびのびと生活することが出来た。
そして、ゆっくりと、少しずつ、お金の勉強、人生についての知識を深めていった。
自発的に、色々な人に会い、何が人生において大事か学び、ようやく真理をつかみかけている気がする。
最近は完全にパラダイムシフトが起きており、もう昔のようなネガティブな思考にはならない。
常にポジティブな行動をするように心がけている。
会社の仕入れ先の一つで、営業にくる20代前半の青年がいる。
彼は十年前の自分と同い年だ。パッと見て、決して、能力が優れているという人間ではない。少し太っているし、気配りが出来るわけでもない。
だが何故か、色々と話していたらなつかれていた。
ふと、自分は思う。
十年前の自分に出会いたい。
そう思って、今、実は彼で実験をしている。
十年前の自分が出来なかったことを、彼に少しずつ教えている。
・本当にいいと思った、すぐにメモをつける習慣をつける
・ボロボロの靴をやめる
・営業なら時計をする
・痩せる
・女性が苦手ならまずたくさん話す
・本を、特にビジネスやお金の本を読む
今の自分が当たり前と思っている事も、彼にとっては未知の領域なのだ。というか時計は最低限しろとツッコむ。
ガテン系で働いていた彼には時計をする習慣も、本を読む習慣も、思考を整理する癖もないのだ。
そんな彼が少しずつでも成長して、十年たった時、また同じように誰かで実験するのだろうか?
そんな事を考えると少し可笑しくなって笑った。
光本勇介さんの実験思考の気持ちが少しだけわかる気がする。